天の采配とも言えるスムーズさで、瞬く間にFC会員になり、ツアーも決定したところまでを前回書いたので、ここからはその後を。
ツアー参戦の準備をしつつ、日々小山さんについて調べては「あー、かわいい」「ぬぉー、かっこいい」「好き、死ぬ」な毎日を過ごしていた私。
単純に色気があって格好良くて、笑うとふわふわで可愛くて、メンバーといる時に何よりも幸せそうで、温かくて優しくて、もう本当にただただ完璧な愛されヘタレリーダーという道を、私の中で着実に爆進していた小山さん。
一方、「あの人、今どうしてるんですかね?生きてるんですかね?」って真顔になるほど露出もなく、「あー、生きてたね」って確認するのが定期的に載る週刊誌という状態だったごうくん。
いやね、あの状況で完全に森田さんから小山さんに降りなかっただけでも褒めてほしいよ、マジで。
でもやっぱりこの時が一番しんどかったなぁ。
ここが最大の「担降り」境界線だった。
と今となっては思う。
「私は何のためにごうくんを好きでやってきたんだ」とか「新しいファンの人も増えたし、私が彼らを応援する時代はもう終わったのかもしれない」とか、身勝手かつ気持ち悪いことを鬱々と考える日々。
ごうくんとともに生きてきた人生で、スキャンダル耐性だけは異常に鍛えられていた私ですら「やばい。もし今の状況で小山さんに何か出たら、たぶんごうくん以上にショックを受ける。泣く。」と本気で懸念していたほど、一方への不満や不安に反比例するように、小山さんへの好きは右肩上がり急上昇だった。
超いかり肩。
そして、小山さんの情報をある程度身に着けた私は、NEWSというグループそのものに対しての勉強も進めていく。
NEWSの激動期を全くというぐらい知らなかった私にとって、4人という現在のカタチになった時代の話が一番興味深く、そこでのメンバーの葛藤や想いを知ることは、私自身の彼らへの想いを深めていく作業と同義であったように思う。
V6も決して順風満帆にここまで来たわけではなかったし、何かとゴタゴタした感情や外野の声に苛まれることも数えきれないぐらいあった。
それでも何だかんだ変わらず6人で走り続けてきてくれていることが、ファンである私にとっての誇りでもあった。それ故に、「メンバーが減ってグループが存続する」という事態が、あまり実感として掴めないでいたのだ。
私の無駄に長いヲタク人生でも経験して来なかった出来事を、経験して内包してきていたのがNEWSというグループだ。
別ルートで「アイドルがグループとして走り続ける姿」を見続けて来たヲタク人生だったからこそ、彼らが走ってきた道の過酷さには胸を痛めずにはいられなかったし、そこから這いつくばってでもグループを維持し成長させてきた今の4人の姿はとても格好よく、感動もし、ますます好きになった。
小山さん自身の4人になった時の状況や感情については、コヤシゲ夜会を見たのである程度把握はしていた。4人での再始動前後を語った1万字インタビューも読んだ。
それらの中で語られる言葉は、それまで私が見ていたキラキラふわふわした小山さんと少し違っていた。
グループを離れて行ったメンバーへの想い。テゴマスとしてある種確定された居場所を既に持っていた二人への想い。
それは決してキレイなものだけではなかった。
しかし私の心に響いて、私が彼をもっと好きになったのはキレイゴトではない想いや、言葉の方だった。
「まず自分の居場所がなくなる怖さがあった」
「NEWSがなかったら、俺はジャニーズにいられなくなるな、辞めなきゃいけないのかなって」
「自分の居場所を残すために、NEWSを残したいと思った」
もう、なんて正直で、なんて生々しい声なんだろう。
一緒に語られている「NEWSを待ってくれているファンのために」「4人で幸せになるために」という言葉。
それも今振り返れば真実の想いだろうし、何よりそれは大前提としてそこにはあったのだろう。
それだけでも十分なはずなのに、そうじゃない自分をさらけ出して語られる言葉は、目に見える美しさとは違う部分でとても誠実で、とても人間らしくて、1人の人間から滲み出した言葉としてまっすぐ私の心に届いた。
この時に私は「小山慶一郎」の“人”としての在り方に、真に惚れたんだと思う。
素直で不器用な彼を、これからも見守っていきたいと自然と思い始めていた。
そんな風に小山さんへの母性にも似た愛情を育て続けていたある日、事件は勃発する。
この先は、とても血なまぐさいハナシなので別にまとめます。(笑)
ここまででも十分長いな。おつかれさまでした。