はい。
ここから先は血なまぐさい話です。
そうです、小山さんのあれです。去年巻き起こった例のあのあれです。
最初何で知ったのか覚えてないけれど、当初懸念していた類の衝撃はなかった。
むしろその頃にはあまりにも好きになりすぎていたので「あー、なんか良かった」という安堵感すらあった。
あの時何事もなく進んでいたら、小山さんの株が上がりすぎて、おそらく本格的に森田さんを降りていた可能性は否めない。「これで、ようやくバランスが取れる」自分勝手だけれど、そういう感じだった。
あと。
そもそも私はこの件に関して、世間(というか一部の方たち)が騒いでいるほどの拒否感も嫌悪感も感じていない。今も、当時も。
これを言っちゃおしまいなんだけど「森田さんより、全然まし」っていう全くもってよろしくない判断基準が私の中には出来てしまっていたから、そういう方面での落胆はほぼゼロに等しかった。
ごう担のメンタル舐めなよ、マジで。(きっと誰にも舐められてないけど)
「もうバカだなぁ」とは思ったし、「ツアー前のこんな時に何やってんの!」とか「もうええ年なんやから、遊ぶなら賢く遊べや!!」という方面への思うところは確かにあった。
地元の仲のいい男友達が、ちょっとバカをしでかした感覚。
リア恋枠を通り越して、もはやリア幼馴染枠。
真偽不明の怪しげな情報が出るたび「マジであいつ、居酒屋で正座させて説教してやりてぇ」が、私と友達の合言葉になった。
小山さん本人のあれやこれやより、私の気を滅入らせ憂鬱にさせたのは、それに対してのファン(?)の反応だった。
落胆する、ショックを受ける、悲しむ、不信感や嫌悪感を抱く、裏切られた気持ちになる、は同じヲタクとして理解できる。
ある程度それを言葉で発散してしまう行動も理解する。私だってそうする。そうしたい。
ただそれでも拭いきれなければ、もうその先は自分で踏ん切りをつけるしかないとも思う。その先は、そのまま進んだってお互いにマイナスしか生まない。
でも現実はそんな簡単なものではないようだった。
罵倒や蔑みは日々強烈になっていく。それに便乗するように、わけのわからない情報が面白おかしく垂れ流される。それを信じて憎悪は広がっていく。
そんなものの矢面に彼がさらされてるのかと思うと、悲しくてしょうがなかった。
自業自得という言葉だけで嘲笑して投げ捨てることが出来れば、100倍楽だったと思う。
私は毎日ツイッターのTLに流れてくるエブリーの画像や動画で「今日は大丈夫かな」と小山さんの様子を確認するのが日課になり、地元で週1回10分だけ流れるエブリーを録画してはチェックするようになった。
本当のところはどうだかわからない。
でも私の目には、明らかにそれまでより疲弊し、表情が冴えないように映った。それでも当たり前だけれど、毎日そこに出続け、しっかりと仕事をこなし続ける姿があった。「もう、こんなの応援しなくちゃしょうがないやん…」毎日毎日小山さんの顔を、目を確認しながら、私の中でそんな気持ちが積み重なっていった。
小山さんは何も言わなかった。
彼が担っている仕事の性質、その後に入っていた仕事の内容を考えれば「言わないんじゃなくて、言えない(言わせてもらえない)んだな」と個人的には当時から受け取っていたし、後になって直接的ではなくてもこの件に関してと思われることを話しているのを見て、更にその状況に納得がいった。
言えない中でも何かしら事態をおさめようと頑張っていた節もあるけど、その時の状況の燃え盛り方と、彼の混乱具合も含めた持ち前の言葉選びの下手くそさが合わさって、まさに火に油だったもんだから笑えない。
申し訳ないけど「お願いだから、もう何も言わないで!何もしないで!!」と心から願ったし、小山さんにお仕事が入るたび誰にだかわからないけど「ごめんなさーい!!うちのおバカさんが、仕事してごめんなさーい!!!目立っちゃってごめんないさねー!!!!」って半ば真剣に、ほぼ泣き笑いみたいに叫んでたそんなあの頃。(白目)
私のツアー初日が迫る。
初めてNEWSの現場に行く。初めて慶ちゃんに会える。
早く会いたくて、でも緊張して会いたくなくて、嬉しくて楽しみで、ドキドキした。
それと同時に、それまでの会場のレポを読んで不安にもなった。
傷ついた人がいる。
ほとんど憎しみにも近い気持ちを持っていその場に来ている人が確実にいる。それを形にして、彼にぶつける人がいる。
そんな中で私は、それでも大好きなあの人に、大好きと伝えることが許されるのだろうか。どんな顔してその場にいればいいんだろうか。
ド新規でペーペーの私だからこそ、悩んだ。
何も知らない私が、何も知らないからこそ変わらずに好きでいられているかもしれないのは、罪だろうか。
それでも、私は彼を応援したかった。
そして、実際に目の前に小山さんが現れた時、私はやっぱり彼のことが心から大好きだと実感した。
スタンド最後列。ずっと先を通り過ぎていくスタトロ。
そこに現れた小山さんは、本当に一生懸命自分のファンを探していた。
「こんなにしっかりと、探してくれるのか…」その姿を、私は感動に近い気持ちで見ていた。
それから私は、必死に彼の名前を呼んだ。
最後列だったから、思いっきり背伸びして、ごめんやけど腕も思いっきり伸ばして、うちわもめいっぱい掲げた。
間違いかもしれない。勘違いかもしれない。
でも、慶ちゃん!と呼んだ声にハッとした顔をしてこちらを仰ぎ見た小山さんは、そのまま指をさしてふわっと笑顔を向けてくれた。
最後列だったのに。あんなに離れてたのに。初めて参加したコンサートなのに。
小山さんは一瞬で両手から溢れそうなぐらいの幸せをくれた。
だから私は決めた。
というか、もうそうするしかないと確信した。私だって、小山さんを笑顔にしたい。これからもっともっと慶ちゃんに幸せをあげたい。と。
たとえクズだと言われる所以がすべてまるっと本当のことだったとしても、それでも私が自分の目で見た小山さんが、小山さんの言葉が、全部嘘だなんて到底思えなかった。
そっちが本当だとしたら、こっちだって本当だし本物だ。
だって、私はこの目で見たから。ちゃんと気持ちで受け取ったから。
矛盾していたって、私の中ではそれがまかり通ったし、それなら私は彼のことを変わらずに好きだと自信を持って言える。
彼が丸腰でさらされて一身に攻撃を浴びるなら、私はそれを全力で守りたい。どんな暴論と詭弁を吐いてでも、彼が大好きだと主張し続けたい。
そもそも天邪鬼なんだ、悪いけど。
私は元からキレイゴトの小山さんを好きになったのではない。
彼の人間らしいずる賢さとか、泥臭さとか、それすらもしょうがないなぁって笑ってしまう。
言葉選びが下手くそで自ら地雷踏むとことか、どん臭くて詰めが甘いとことか、そういうのもバカだなぁ、しっかりしてよ!って言いながら、やっぱり嫌いになんてなれないし、そんなとこすらちょっと愛おしい。
プラスもマイナスも、小山慶一郎を形成するすべてまとめて大好きで、そんな彼の笑顔が今は私を何よりも元気にしてくれる。
そして、1年が経った。
1年ぶりに目の前にした小山さんは、とんでもなく進化していた。
自担の贔屓目である自認はしている。それでもやっぱり思う。言葉に出来なかった分を、彼はちゃんと目に見える形で返してくれた。
前より少し強くなった慶ちゃんは、更に素敵で魅力的だった。私は変わらず、小山慶一郎が大好きだ。これからも、きっと。
私は20年間森田剛一筋でした。V6一筋でした。
でも今私は、小山慶一郎のファンでもあります。NEWSのファンでもあります。
それは私にとって人生を揺るがすほどにすごいことで、きっと人には理解されないけれど、割と一世一代の大決断でした。
だからね、困るんだよ。
どっちも頑張ってもらわなきゃ。どっちも自慢の自坦でいてもらわなきゃ。
人生を通して好きでいて、人生かけて好きになったんだから。
ごうくん。
慶ちゃん。
私の前に、現れてくれてありがとう。
これからもずっとずっと大好きと言わせてください。
おわり。