1人と、5人と、わたしのはなし。

V6やらNEWSやら、思うところをまとめるところ。

自担の原点が私の原点でもあったハナシ②(本編であり、エピローグ)

 

yu-ka-g-6v.hatenablog.com

 

続き、いきます。

やっとStrawberryの話を。

 

 

初回盤の特典映像「ぼくたちの、原点」。

自担であるところの小山さんのテーマは「“伝える”は終わらない」

NEWSのファーストコンサートの会場へ足を運び、過去と現在の自分、グループについて話しています。

ここから先はその感想やら、個人的に記録しておきたい感情をつらつらと書きます。

小山さんのことしか語ってません。

しかも大変重い愛です。おまけに私の主観による主観で行間読みまくりです。

ご了承ください。

 

 

 

このインタビュー映像を見終わって、というより見ながら一番に感じたのは「あぁ、私この人好きだなぁ」という気持ちだった。

 

 

まず前半はファーストコンサートの映像を交えながら、デビュー当時の状況や思い出、当時の想いを語っている。

 

私が小山さん堕ちしたのは2016年12月4日の日曜日(細かい)。

それまでの私はNEWSと道を交えることのない場所を歩いていたので、NEWSが当時どんな風にデビューし、どんなグループとして走り出したのか、申し訳ないことにそんな初歩的なことすらもあまり知らないし、ましてやその中で小山慶一郎という人が(それ以外のメンバーもだけど)どういう立ち位置で、どういう存在の仕方をしていたのかも知らなかった。

 

私の記憶にはない、見たことのない場所で、見たことのない時代を生きていた小山慶一郎の話を、現在の小山さんから聞く。

 

全く知らないからこそ、実際に彼と一緒にその場に訪れて思い出話を聞いているような、とても不思議な感覚。

彼がその場所で記憶を一つ一つ紐付けしていく過程が、私にとっては知らなかった小山さんを一つ一つ書き込んで書き足していく時間のように感じられた。

 

デビュー当時の自分を振り返った時、彼が語ったのは「八方美人な自分」だった。

 

この言葉を聞いた時「あぁ、もうあなたって人は…(好き)」、そう思った。

 

「先輩メンバーにもいい顔をする。後輩にもいい顔をする」

「グループの中でいい人でいようとしてた」

こんなマイナスに取られかねない言葉で、自分を振り返る。

人には理解されないかもしれないけど、私は彼のこういうところが好きだ。

 

これを最初に感じたのは、一万字インタビューで「4人のNEWSを残そうとしたのは、自分の居場所を残すためだった」と話しているのを読んだ時だった。

(このことは以前ここで重く語っています…)

 

小山さんは、当時の実際の感情や行動が現在から考えればマイナスの方向性だったとしても、それを人に伝える時にプラスで塗り替えようとはしない。

そのままを包み隠さず話す。私にはそういう人に見える。

でもそうやって振り返ったそのままを言葉に出来るのは、言葉は悪いけれどバカ正直にその頃の感情と向き合って過ごした時間があるからなんじゃないかと思う。

 

実際インタビューでは、当時の自分へ向けて「もっと先輩と後輩を繋ぐ役割を担え!って叱りたい」「それを出来る唯一のメンバーだったと思う」と話している。

 

突然集められた年齢と経歴が複雑に絡み合うメンバー。9人という大所帯。

そんな大変な環境の中でグループの一員として歩みながら、グループとして成立させるために自分が担うべきだった役割。そして、それを果たせなかったこと。

そんな苦い経験や感情と、これまで何度も向き合ってきたのかもしれない。

 

 

その後、話題はライブMCの進行について。

私はずっとV6ファンとして生きてきて、それ以外のグループもちょこちょこライブには行ったりもしていたのだけれど、最近になって気付いたことがある。

それは、「私って、MCが面白くないとハマらないんだな」ということ。

 

ライブのMCに限らず、グループとして話をしている時、メンバー間の関係性がよくわかり、尚且つ話が面白くないとより深くそのグループを知りたいとは思えない。

曲が良くても、ダンスが素敵でも、結局のところそこ止まり。

MCって私にとって、グループを知り好きになっていく上でかなり大切な位置を占めている。

そもそもそういうベースがあるから、3年前の私は小山さんに目と心を奪われたのかもしれない。

 

ファーストコンサートでの思い出したくないほどの苦い経験。

途方に暮れるような目をしながら、苦笑とともに語られる当時を振り返る言葉。

それでも投げ出さずに、どうすれば上手く出来るか試行錯誤し続けてくれたからこそ、私はNEWSというグループに惹かれたんだと思う。

彼が大切に育ててきたMCに抱いている想いは、私の心のど真ん中を掴むものなんだと改めて気付かされた。

 

 

いつか確か井ノ原くんが言っていた。

(たぶん井ノ原くんだと思う。健くんだったかも。いや…)

 

「過去の自分を振り返って恥ずかしくなるのは、今の自分がその時より成長出来ているから」

 

悩んで、迷いながら歩いてきたからこそ、「あの時こうすれば良かった」と振り返ることが出来る場所に、今立つことが出来ている。

当時を振り返って語られる言葉からそんな姿が見える気がした。

 

 

 

そしてインタビュー後半。

話題は「キャスター」について触れていく。

 

正直言って、そこから話すんだとビックリした。

気持ちの整理がつかなくて、一時停止してしまったぐらいには衝撃だった。

 

私が住んでいる関西では、小山さんの出演箇所が放送されるのはほんの一部だったため、キャスターの小山慶一郎についても実はあまり深くは知らない。

ファンになる前のことについてはもちろん全く知らないので、語られるNY取材のことも初めて聞く話だった。

 

それにしても、そうか、こんなに触れるんだ。

そんな気持ちを引きずりながら見ていた私の目に飛び込んできた「2018年キャスターを降板」の文字。

 

そこからは自分の目で実際に見てきた世界の話だからこそ、ますます「そんなに触れるの…」と戸惑った。テーマを見た時から、いくらかは触れるだろうと覚悟はしていたけど、ここまでとは思わなかった。

 

 

「生きろ」のリリースに関しての経緯は、知りすぎるほど知っている。

それは発売に至る経緯はもちろん、それ以外のことも。

 

私の目に入ってきた色々な言葉も、私自身が吐き出した色んな気持ちも、そんなありとあらゆる言葉のいくらかはきっと、何らかの形で彼も目にしているんだろうなとは想像していたけれど、彼が話す姿を見ていたら私が思っていた以上にそれは彼に届いていたのかもしれないなと思った。

そして、そんな中で彼が選んだ方法は「言葉にするより、自分の変化を見せること」

 

あぁ、そうだよな、そうだったね。と自然と頷いていた。

私は小山担なので、行間を読むし、意訳する。だから彼の言葉はすごく納得がいった。

 

でも、この映像にしたって、届かない人には届かないんだと思う。その状態はもしかしたら、これからもずっと平行線のまま続くのかもしれない。

でもここまで言葉にしたんだからもういいやって、すとんとひとつ気持ちに区切りがついた。

 

見なくていいもの、見たくないもの、でも見てしまったものを色々思い出して余計に、こうして実際に彼がその過程や想いを言葉にする姿が映像として残って、本当に良かったと思う。

 

 

そして、彼は言う。

 

「“伝える”っていうことはまだ、全然諦めてないので」

 

こんなにもはっきりと力強くそう宣言する姿は、自担ながら驚きだった。

でもそれと同時に、本当に嬉しかった。

 

PERSONを読んだ時に感じたことが、更にしっかりとカタチになった。

彼をこうやってもう一度立ち上がらせたのは、MXさんのお仕事なんじゃないかと思う。愛を持って向き合って、一緒にお仕事をしてくれるMXさんに心から感謝している。誰だよって感じだけど、本当にありがとうございます。好きです。

(そんなわけでゆめらいおんちゃん、買いました)

 

 

 

 

そして、私がこのインタビューの中で一番ハッとした言葉。

 

「そうだ、ここで自分は生きてるんだ」

 

味スタのステージを終えた彼があの場所で感じた気持ち。

 

時々ツイッターで爆発させているのだけれど、私が一番愛しているのは、そこがライブであれ、舞台であれ、その姿を見て「ステージの上で生きている」と感じられる人、そこに立つことが「生きていることだ」というぐらい魂をぶつけられる人だ。

その瞬間に魂を削りながら、キラキラと命を輝かせている姿をずっと見ていたい。

そして、そこで「生きている」と感じてくれることが、ファンとして私は一番嬉しい。

そんな気持ちで、コンサート会場や劇場に行く。

たぶん今私が応援している人に向けている想いは、すべてここに行き着く。

 

あぁ、だから、好きなんだ。小山さんのこと。

 

 

このインタビューの全編を通して、この「だから、好きなんだ」が溢れていた。

私が知らなかった小山慶一郎も、実際に見てきた小山慶一郎も、やっぱり私の大好きな人だった。

 

1年経ち、前へ進むと決めた小山さんを全力で後押ししたいと思う。

小山さんが諦めないなら、私だって諦めない。

ステージの上で「生きている」って感じる姿を、これからもずっと追いかけ続けたい。なんだかもう抱えきれないぐらいに、好きが溢れてしまってどうしようもない。

 

 

この映像が手元に届くまで、自分がどんな風にこれを見ることになるのか想像も出来なかった。

そして実際見てみたら、想像もしていなかった場所にたどり着いた。

 

全然言葉にならなくてぐるぐるしていた気持ちが行きついたのは、とてもシンプルな言葉。

 

 

 

小山慶一郎の原点は、私の“好き”の原点でもあった』

 

 

 

だから、私はこれからもまっすぐに、小山坦として生きていく。

 

 

Strawberry、映像化おめでとう。

素敵な作品をまた一つ届けてくれて、ありがとう。

 

終わり。

 

主観中の主観を並べ立てるだけの文章でしたが、大丈夫でしょうか。(何が)