1人と、5人と、わたしのはなし。

V6やらNEWSやら、思うところをまとめるところ。

【番外編】余の辞書になかった「担降り」を、一瞬とはいえ脳裏に過らせた唯一無二の男のハナシ①(というより、まずは男が出てくるまでのハナシ)

 

 

今現在、私の辞書に「担降り」の文字はない

なんやかんやとゴタゴタとしている今も、今後起こりうるかもしれない有事の際もたぶん、ない。違うな。ない気がしている。今のところたぶん。

でもたった一度、ほんの一瞬だけ「あー、このままもう戻れないかも…」「担降りってこのことか」と本気で思ったことがある。

そう思わせた“男”が、1人だけいる。

私にとってそれはかなり歴史的なことだったので、一応書き残しておこうと思う。

私の歴史に名を残すその“男”のハナシをする前に、私がなぜ「担降り」という文字を辞書に記さないままヲタク出来てきたのかを振り返ってみる。

 

 

前述している通り、私は中学2年生で森田剛に堕ち、V6のファンになった。

現在のところ一応そこから一度もファン歴が途切れたことはない。

その21年の間に、V6ファンじゃなくなった友達もいる。V6以外のジャニヲタの友達はほとんどが華麗にヲタクを卒業していった。

では、なぜ私はしぶとく生き残れたのか…。

時々自分でも不思議に思って考えてみるのだけれど、生き残りたくて残ったわけでもないのだ。単純に「別に離れる理由がなかった」から、「なんとなくずっと此処にいた」ただそれだけ。

まさに「丁度いい距離たもちながらユラユラと流れてきた」らば、気付けば21年。

 

かといって、波乱ひとつない凪みたいに穏やかなヲタク人生だったわけでもない。

ご存じのとおり、自担はそれはもう話題には事欠かない人だ。おまけに私は割とそういう話題に無鉄砲に突撃していきがちな人間であったりする。

思い返せば高校生の頃、学校帰りに本屋さんに立ち寄り週刊誌をチェックするのなんて日常茶飯事だった。

あの頃には私、もう既にチベットスナギツネの表情を習得してたな。スーンて顔して週刊誌見てるセーラー服。なんとシュール。

ツーショット写真を見て「あー、小指がごうくんだ…」と顔よりも手を見て確信した瞬間の感情なんて、今でも昨日のことのようにはっきり思い出せる。

それでもそんなものは、別に離れる理由にはならなかった。

どうでも良かった。関係ないぜー!

だって、ちょっとその場を離れてドル誌コーナーに行けば、かっこいいごうくんがいたから。帰ってテレビをつけたら、うひゃうひゃ笑うかわいいごうくんがいたから。ラジオからは家族の話を照れくさそうにする優しいごうくんの言葉が届くから。

モヤモヤはしても、ウダウダは言っても、それでも別に好きな気持ちは特段変わらなかった。

その時にはもう森田剛森田剛であれば、とりあえずそれでよし」みたいな部分がどこか形成されてきていたのかもしれない。

好きになってわずか数年で。森田剛って、怖い。好き。

おまけにその頃にはごうくんを取り囲む「V6」そのものが好きになっていた。6人でいてくれたら、もうそこは常にHAPPY。生活の一部、あって当たり前。

こういうベースが高校生の頃に着実に確固たる土台として築かれていったように思う。

 

その後、大学では大っぴらにジャニヲタであることをカミングアウトしていなかったし、就活から社会人1年目に関しては物理的、精神的に追いつかなかったので、CD買ってライブに行く程度の細々したヲタク生活を送っていた。

おまけにその頃のV6は世に言う「氷河期」に突入していく時代だった。

頑張って追いかけなきゃ追いつかないほどの露出がない。

個人的にはそれが丁度良かった。あの時V6が出ずっぱりでめちゃくちゃ働いてたら、「ちょっと着いて行けないな…距離を置こうかな…」ってなっていたかもしれない。ちょうどいい距離、ちょうどいいペースで歩けたから、ユラユラゆったり好きでいられた。

 

社会人生活に慣れてくる頃、V6のグループとしての活動はすっかり落ち着いていた。

ここからは「担降り」とか「ヲタク卒業」というこちらサイドの感情論的な問題より、「グループ存続の危機」という向こう側だかどちら側だかよくわからない方向の問題に胸をざわつかせるようになる。

 

ライブで見る彼らはわちゃわちゃと仲良しで楽しそうで、変わらずかっこよくてかわいかった。

なのに、世間は「終わったグループ」だの「まだいたの?」だの勝手なことを言っては、ご親切にも「メンバー分裂!」「解散危機!!」なんて盛大に盛り上がってくれる。

ドル誌はとっくに卒業してる。レギュラーが減ることはあっても増えはしない。

でも舞台をやれば最高に素晴らしい。ステージではいつだってキラキラしてる。

自分が見てるV6と、世間に見えてるV6がまるで違うのだ。

あぁ、今思い出してもしんどい。ファンやってて一番辛かったのはこの時期だなぁ。

「別に注目してくれんでいい!!こっちはこっちで勝手に楽しんでるんやから、ほっといてくれや!!」と本気で心から思っていた。

それでもやっぱり私には、私が自分の目で見てきた彼らと、今自分が見ている彼らが好きだったし、6人が6人でいることを諦めようとしてるなんてどうしたって信じられなかった。

だからもう着いて行くしかなかった。好きで居続けるしかなかった。

はい、ここまで来てもやっぱりないのです。「担降り」なんて言葉は、余の辞書に。

しぶとい。我ながら、本当にしぶとい。

 

そんな感じで時々湧き起こる外野からのいらぬ盛り上がりにざわつきながらも、まぁそれなりにゆったり落ち着いてヲタクしていたら、にわかに20周年が目の前迫ってきていた。

 

20周年の盛り上がりがいつどこから始まったか、正直全然記憶にない。

だっていまだに謎だもん。なんでこんなに人気爆発したの、V6。いや、いいことだけど。いいことだけどね。

20周年yearはまさにお祭りだった。

個人的には「頑張ったね、6人も、私たちも」って身内だけのホームパーティーみたいにもっとこじんまりお祝いするものだと思っていた。

びっくりした。

まずチケットが取れない。テレビにも雑誌にも出すぎてる。何事。解散危機だったのに、何が起こった。嬉しいけど、困惑。

そんな1年だった。

 

着いて行くのに必死だった。着いて行くだけで精いっぱいだった。

 

それでもさすがに20周年が過ぎれば元に戻ると思っていた。覚悟は完全に出来ていた。それどころか「きっとまたこじんまりゆっくりに戻れる」ちょっとそう期待していた部分すらある。

氷河期からの復活にしては、ちょっと展開が急すぎた。

「ちょっと休んでくれ、V6。いや、ちょっと休ませてくれ、私を…」

 

正直、とても疲れいていた。

なんだか、とても遠く感じていた。

 

どんな危機的な状況の時より、どんな報道に心をかき乱された時より、再び活躍する6人を眺めることになった喜ばしいはずの21年目のあの頃が、なんだか6人がすごく遠かった。そして、とても寂しかった。

 

今思えば、そんな気持ちの隙間だったのかもしれない。

そんな時だったからかもしれない。

 

“彼”が現れる。

 

 

なんか、思ったより長くなってしまったので…

”彼”については、また次で。