まさか、こんなことになるとは。
大切な人の誕生日祝いのブログの書き出しには、到底相応しくない書き出しで始めてしまった。
でも、本当に「まさか、こんなことになるとは」なのだ。
本当ならば今日は、大阪城ホールのきっと可もなく不可もない自分名義の席で、ステージに立つ「今日36歳になったばかりの自担」に精一杯目一杯おめでとうを伝えているはずだった。
そして、「今日36歳になったばかりの自担」は、ステージの上で会場中から一身に祝福のシャワーを浴びて、世界一、いや宇宙一幸せに輝いているはずだった。
そんな瞬間を想像しながら、祈るような気持ちで申し込みをした日。
緊張しすぎて当落メールをなかなか確認出来なかった事。
当選の二文字を見て、ビックリしすぎて手が震え、胃が痛くなった事。
小山担になってから去年までの3年は、毎回お誕生日公演の前後というニアミスで残念ながらお祝いにはご縁がなく、いつか直接おめでとうを伝える事が夢だった。
だから私にとっては「当選」そのものが夢みたいな出来事で、それだけでも両手から溢れるぐらいの幸せな時間だった。
「しょうがない」
その一言でまとめるには、とてもじゃないけどおさまりきらないたくさんの気持ち。
どこにもやり場がなくて、ぽろりぽろりと落としてはその真ん中でひっそりと途方に暮れていた。
そして、そんな行き場のなくなった気持ちを掬い上げて大切に包み込んでくれたのは、他の誰でもなく小山さん本人だった。
「今日は何してたー?」
直接話しかけるみたいな言葉で始まった文章。
もうその時点で完敗だった。
“好きだなぁ、この人のこと”理屈も説明も抜きに、ただ直感的にその言葉が口をついて出た。
直接声が聞こえなくても、たとえ一方通行でも、温度や気配を感じる言葉がそこには溢れていた。
「小山の誕生日は家でHappy Birthday歌ってね♪」
最後に綴られたその一言で、初めて「やっぱり直接お祝いしたかった」という正直な気持ちの感触を自分の手に取って確かめたような気がした。
残念だって、悲しいって思っていいんだ。
こんなギザギザでモヤモヤした気持ちも、慶ちゃんは分かってくれている。
“こんなに大変な時だし…”と固めて出てこないように閉ざしていた気持ちさえ、優しい光で包んでほどいてくれた。
悲しみも悔しさも全部ちゃんと味わったら、それまでの「夢みたいだった」時間がもっと大切に思えて、小山さんのこと好きでいることだけでやっぱりとても幸せだった。
それから今日まで小山さんは、ラジオで、ウェブで、たくさんの声と言葉で、いつも私たちに寄り添ってくれている。
何気ない一言にほっとして、いつも通りのふわふわした明るい声に心がゆるむ。
「みんなが健康で笑顔でいてくれたらそれでいいよ」
自分の誕生日のお願いとして話した言葉。
それは思い返してみれば、これまでずっと私が小山さんに願っていたことと同じだった。
会えないからこそ、顔が見えないからこそ、一方通行だからこそ、届いてほしい願いがたくさんあった。
ずっと自分の中にあった想いだから、小山さんが今それを一生懸命届けようとしてくれてることが、手で触れたように実感としてよくわかる。
それは少しくすぐったくて、とても温かい。
今日存在するはずだった空間と時間。
それは私にとっては本当に夢見て待ち望んでやっと飛び込んできた幸せだった。
でも、こんな大変で普通ではない状況だからこそ、なんだかいつもよりあちらから届く気持ちをより近くに感じることが出来ているのかもしれないと思っている。
それはそれで特別で、やっぱりとても幸せな事。
そう思えるのは間違いなく、小山さんが今とても強く優しくいてくれるからだ。
まさか、こんなことになるとはね。
慶ちゃん、いつの間にそんなに頼もしくなったの?
今日36歳になったばかりの自担に、そう言いたい。
好きになる事って、際限がないよ。
まさか、こんなことになるとはね。
今日36歳になったばかりの自担に、そう伝えたい。
私にとって大切だった日は、離れていても会えなくても変わりなくとても大切な日で、今年も今日しかない今日に、大好きな人を想えることは奇跡みたいに素敵な事だ。
慶ちゃん、36歳のお誕生日おめでとう。
NEWSとして、アイドルとして、歩き続けてくれてありがとう。
今日も明日もこの先もずっと、一緒に健康で笑顔でいようね。
きっと世界一、いや宇宙一、幸せになってね。
慶ちゃんの36歳が美しい彩に溢れる、素敵な1年でありますように。
おわり。