1人と、5人と、わたしのはなし。

V6やらNEWSやら、思うところをまとめるところ。

加藤シゲアキが私にとっての最適解を繰り出したハナシ。

「ジャニーズ辞めて、○○一本でいけばいいのに」

 

V6ファンとして生きてきた20数年。

外野からのこの言葉に、何度となく泣かされてきた。

本人のこれまでの歩みが軽視されるようで悔しくて・・・いや、違うな。

何よりも私が“アイドル”として応援していることが間違いと言われているようで悲しくて、「本人にとっての幸せは、本当はどちらにあるんだろうか」と時に不安にもなった。

 

「ジャニーズ」という場所で「アイドル」として生きる人たちは、所謂“歌って踊る”アイドルの本筋以外の仕事で頭角を現し世間一般(外野)に認められた時、それに呼応するようにその基板であるはずの「ジャニーズ」や「アイドル」を軽視されがちな希有な人種に思える。

普通であれば、一人の人間が素晴らしい成果をあげた時、そのベースになる場所やこれまで歩んできた軌跡も含めて評価されるものだ。

しかしそれがジャニーズ所属のアイドルには適用されないことが多い。

 

「ジャニーズなんかにいないで」「アイドルなんか辞めて」

 

そこにおそらく悪意はない。

ただその人の功績を最大限に称え、その人の今後に大いに期待する言葉。

例えばそれが役者としてなら、「役者として更に活躍する姿をもっと見たいから、アイドルに割いている時間も役者をやってくれ!それぐらいあなたの芝居は素晴らしい!!」という最大級の賛辞なのだと思う。

 

言いたいことはわかる。(いや、わからないけど)

だからこそ、ファンにとってこの言葉はとても痛い。

 

若い頃の私は「でもジャニーズやったからここまで来れたんやん!」「両方出来るんやから、両方やればいいやん!」と、盛大に自分のエゴも含めて鼻息を荒くしていた。

大人になった今はそれと同時に「もし本人がその道を極めるために、ジャニーズなりアイドルなりであることが妨げになるなら、どうか自分の思った道を選び取ってほしい」という想いもあって、少々厄介になったりはしている。

 

 

そして、本題。

NEWSの加藤シゲアキが出した最適解について。

 

先日彼の著書「オルタネート」が見事吉川英治文学新人賞を受賞した。

作家デビュー10年目にして、彼が地道に重ねてきた努力が見事に大きな花を咲かせたのだ。

 

思いがけずラフないでたちで金屏風の前に現れ、それでもなかなかに緊張した面持ちで受賞の喜びや作品、作家業への想いを語る様子をライブ配信で見ていると「あぁ、なんという特別な瞬間に立ち会っているんだろうか・・・いや、しかし顔が良すぎてフィクションに見えてしまう」とNEWSファンとして感慨深くもあり、まるでドラマの1シーンを見ているような非現実感もある不思議な時間を過ごした。

 

そして後の質疑応答で、クレバーかつ人間味溢れる言葉で返答していく姿に惚れ惚れしていたところ、最後の質問者の名前を聞いて度肝を抜かれる。

「いらっしゃったのね・・・」と驚きつつ、一気に芸能色の強くなった空気になぜか居心地の悪さを感じながらソワソワとその質問に耳を傾ける。

 

「これから作家としての時間と、アイドル、NEWSの加藤シゲアキとしての時間、どちらかに重きを置かれるようになっていかれるんでしょうか」

 

あぁ、来たなと思った。

質問者ご本人がどちらの方向の答えを引き出したくてぶつけた質問なのかは分からないし、そもそも「答えを引き出す」という感覚を私が持っていることが逆に思考が偏っていることの現れなのかもしれない。

ただ、それまでの彼の言葉を聞いていれば、その場で「これからは作家としての時間を充実させたいので、タレント活動の時間は減らしたいです」と簡単に宣言するとは考えにくく、何かある方向への答えを誘導されているような感覚を抱いてしまったのは事実だ。

そもそも文学賞の受賞会見という場においては、やはり少し毛色の違う質問だったのではとも思う。

そんな風にオタクがヤキモキしているのをよそに、彼はこう話し始めた。

 

「よくそう言った質問をいただくんですが、まぁ二足のわらじという表現もされるんですが。僕は11の頃からジャニーズに入って、ジャニーズのタレントって最初の頃からかなりマルチにいろんなことをやるんですよね」

 

それな。

ほんまに、それな。

 

もうここからの私は、彼の言葉の一つ一つに「それな」を返してしまうぐらいの想いで、気付けば吸い込まれるように画面を見つめ一言も聞き逃すまいと耳をそばだてていた。

 

「歌って踊るだけではなくて、バラエティーに出たりお芝居をしたり。“これ”というはっきりとした・・・なんていうんですかね、専業みたいな感覚は僕自身の中にはなかったんです。なんでもやることが出来るのがジャニーズのタレントなんだなぁと」

「今までときっと変わらずに、歌って踊る日があって、お芝居する日があって、書く日があるだけだと思ってます」

「スケジュール的には、グループのお仕事やタレント活動の空いてる時間に書くもの、小説を書くために休みをくれと言ったことはこれまでもないので、まぁこれから先もそうなるんじゃないかなと思ってます」

 

こんなにも言ってほしかった答えを自分自身の言葉で伝えてくれることってあるんだろうか。

思わず天を仰ぎたくなるほど、彼の出した答えは私にとっての最適解だった。

(結果的に、そぐわないのではと思った質問に対しての答えに、こんなにも感銘を受けてしまったので、なんだかなぁと複雑・・・)

 

アイドルの仕事と作家の仕事、アイドルの自分と作家の自分。

そこに特別な境界線はない。

それを実に淡々とフラットに、これまでの状況を振り返り、同時にこれから歩むであろう時間をなぞるように話すその姿は、私にはとても自然に届き「ファンが“アイドル”であることを強いているのでは」という恐れさえも拭い去ってくれるようだった。

そして何より今回この栄誉を得て、これからより繰り返されることになるはずだった「本業・副業」論争(そんな大層な・・・)に、今自身のスタンスをはっきりと提示したことで、先手を打って答えた形になったようにも思える。

 

いつだったか井ノ原くんが「アイドルは何をしてもいいし、何でも出来る人」と言っていた言葉がとても印象的で記憶に残っている。

それは私がジャニーズの人たちに対して抱いているイメージをそのまま言語化したような言葉だった。

“歌って踊る”は確かに彼らの大切な基盤ではあるが、それ以上に“幅広く色々なことをやる”ことがジャニーズの、アイドルの一つの定義なのではないかと私は思っている。

そしてその中にあるどの仕事も彼らにとって「副業」ではなく、歌やダンスと同列の「本業の1つ」なのだ。

 

私はファンとして応援する中で、彼らが演技の仕事で、バラエティーで、そして作家業で、それぞれの場所にプロとして立つためにどれだけ努力を積み重ねているかを、その姿を通して垣間見てきている。

だからこそ「ジャニーズやめて○○一本でやれば」という言葉の裏にある、「専業でないなら本業ではない」ようなニュアンスに、どうしても引っかかりを覚えてしまうのかもしれない。

 

 

翌日のスポーツ紙はどれも大きく彼の文学賞受賞を取り上げていた。

どの紙面にも「二足のわらじ」ではなく「二刀流」という文字が記されていることが印象的だった。

「両立が難しいものを両立している」ところでは収まらず、「共に武器として戦える能力を有している」という世間の目の変化なのかなと思うと、とても胸が熱くなった。

彼が体現してきた“仕事”へのスタンスは、その努力や才能と共に確実に“外野”にも届き始めているのかもしれない。

 

 

それでも。

いつかもしたくさんある仕事のどれかに専念する道を選ぶとしても、それはそれで素晴らしい。今の場所にいることがその足枷になるなら離れる決断も正解だと思う。

アイドルだから、ジャニーズだからとかは関係なく、一人の人間を推すファンとしてその大前提だけは忘れないようにしたい。

 

ただ、加藤シゲアキというアイドルがあの場所で示してくれた在り方は、アイドルを応援するいちオタクにとってとても鮮烈で熱い大切な時間になった。

ありがとう、シゲ加藤。

そして、オリゴ糖。(分かる人にしかわからんやつ) 

 

 

はい。あまりにも大切だったので、こんなに長々と書いてしまいましたとさ。

 

おしまい。