レタクラ発売日。
私のTLは自担様への愛で溢れていた。みんな泣いていた。温かい涙で埋め尽くされていた。
仕事の都合で2日後まで本屋には行けない。
ただ、TLに流れてくるツイートを見ていれば、彼が話している内容の察しは大体ついた。
「あぁ、きっと私は泣けない」
そう直感した。
読むのが楽しみであり、怖かった。
どういうわけか6連勤だった1週間の終わり。
手に取ったレタクラをペラっとめくり、ちゃんと掲載号かどうかだけ確認。ドストライクな写真を一瞥した後、あえてテキストは読まずにレジへ。
家に着くまでの緊張感。
雑誌を前にしてもなかなか捲る勇気が出ない。一番前のページから順に読んでいき時間を稼ぐ。残りのページはどんどん少なくなるのに、一向に気持ちは落ち着かない。
ざわざわした心のまま開いた目的のページ。
大好きな慶ちゃんがいた。
テキストをじっくりと読んで、読み切って…
私は思った通り、泣けなかった。
どう言えばいいのか、ただ静かな気持ち。
事実を受け止めた、というとてもシンプルな感覚。
なぜなんだろう。なんで私はあの日のTLの流れのように、彼の言葉にまっすぐに涙を流して、素直に寄り添えないんだろう。
その疑問を自分なりに咀嚼するために、書いてみようと思ったのがこの文章です。
(前置きが長い。)
まず一番大きな理由は、私自身、実際に自分の目で味スタのステージに立つ小山さんを見て、NEWSを見て、今回の件にまつわるありとあらゆる感情が、ほぼ完全に近い形で昇華されていたからなのではないかと思っている。
“あの日”から、本当にたくさんのことを考えた。たくさんの感情を経験した。
彼は確かに間違ってしまったけれど、私はそれでもやっぱり大好きで、どうしたって小山担であり続ける選択肢しかなくて、だからこそ不特定多数の人の目に触れる場で、この件では絶対に泣かないし、泣き言も言わないと決めていた。
それは自己満足だけれど、私なりの「小山の女」としてのけじめだった。(激重)
でもやっぱり辛いことの方が格段に多くて、悩んで迷ってばっかりで、仲良しのお友達や同担のお友達、果ては職場のパートさんにまで泣き言を言っては慰めてもらう日々。(激弱)
だからさ、ずっと一緒だったんだよ。
小山さんが苦しい時、私だってすごく苦しかった。
あなたが自分がどうあるべきかを悩んでいた時、私もあなたを大好きなままで許されるのか、会いたいって声に出して言っていいのかを、ずっとずっと悩んでいたよ。
そんな数週間を何か月とも感じながら過ごして、小山さんが戻ってきた。
とにかく何よりほっとして、その時だけ泣いていいことにした。
内外から注がれる批判も中傷も受け止めて飲み込んで、それでも私から見える場所に自担が戻ってきたことに安心して嬉しくて、大好きな気持ちをいっぱい言葉にして静かに泣いた。
復帰した後、味スタまでの小山さんは自分の居場所やあり方に迷っているのが目に見えて分かった。
そこにどういるべきか、自分でもはかりかねて揺らいでいたんだろうと思う。
自業自得だと言えばそれまでなんだけど、それでもあの場に立つ怖さに、私ならきっととてもじゃないけど打ち勝てないと思う。
だからレタクラで語ったこと。
うん、知ってたよ。わかってたよ。
全部感じて、見守ってたよ。
そんな小山さんだからこそ、降りなかった自分が応援しなくちゃと思った。
「らしくない自担」を見るのは結構つらくて、少しずつ増えていくNEWSとしての露出がうれしい反面、目を背けたくなる気持ちもあった。
(同じ理由で今も「生きろ」のMVメイキングは最初に1回見たきりで見れていなかったりする。メンタル弱すぎか、私。)
でも、いつかまた元通りに笑えるように、背中を押して、尻を叩いて、頑張ってもらわなきゃと、自分を奮い立たせることで精いっぱいだった。
そして迎えた味スタ初日。
とても怖かった。色んな想像と想定をして、不安ばかりが増した。
本当に申し訳ないし自分自身情けないけど、小山担としてそこに行くことがとにかくなんだか怖かった。
入場してみれば思いがけず良すぎるぐらいの良席で、後ろの席の4人組さんもすごく楽しい子たちで、出来るだけはしゃいで喋って笑って、不安も恐怖も振り払おうとした。
そして、幕が上がる。
少なくとも私には、恐れていたことは何も起こらなかった。とても温かくて、やわらかくて、やさしくて、ただ純粋に楽しい時間だった。
何よりも目の前に来たNEWSは4人ともただただとても幸せそうで、そんな彼らを見ていたら不安も恐怖も何ひとつ感じる必要なんてないって自然と思えた。
小山さんもいつも通りで、やっぱりとても幸せそうに笑っていて、改めて心からその笑顔が好きで、彼が笑っていてくれる限り私は無条件で幸せになれると実感した。
彼らは4人で歩くことを、とっくに決意している。
いや、違うかな。
とっくに決意していた3人に、小山さんは、そして彼のファンである私は、もう一度その道の上へ引っ張り上げてもらって、背中を押してもらったのかもしれない。
そうしてまた歩き出せた。そんな感じがした。
20年以上Vファンとして生きてきた私が常々心に留めていることの一つに、「グループの決断はグループにしか下せない」ということがある。
もちろん「ファンの意見」や「ファンの想い」が加味される場合もあるだろうが、グループの歩む方向性も、方針も、最終的に決断を下すのはメンバーでしかない。
どれだけファンが声をあげても、メンバーの意思が固まれば全くの反対方向へだって話は進んでしまう。
だからいつどんな状況であれ、メンバーがこうと決めたならそれがグループとして出した正解で、ファンとして出来ることは、それを受け止めてまた共に進むか、そのまま離れる選択をするかの二択だと思っている。
私はあの日から、小山さん本人の身の振り方はもちろんだけれど、それ以上にメンバーが、そしてグループに関わっているスタッフさんたちが、どういう答えを出すかの方が気になっていた。
誰よりも近くで今までの彼を見てきたメンバーは、現在の彼を見た上でこれからも彼と共に歩む道を選んでくれるだろうか。
世論よりも、ファンの想いよりも、私にとってはそれが一番重要で、一番知りたいことだった。
だから味スタで「4人のNEWS」として幸せそうにステージに立つ3人を見て、大袈裟かもしれないけれど、勝手かもしれないけれど、本当に許された気がした。
3人がこういう答えを出したなら、私はもう躊躇わずに小山担としてNEWSを応援しようと心から思えた。
今回彼の言葉で語られた味スタまでの経緯は、私のそれとも不思議と地続きで、なんだかすとんと自然に私の中に落ち着いた。
だからこそ、私は泣けなかったんだと思う。
わかってる。
わかってるから、もう進もう。
今はただその気持ちの方が強い。
もう思い出したくない。それも正直な気持ち、ある。
あの日からの迷いも苦しみも、全部味スタに置いてきたから。
私は、あそこでマイナスは終わりにしたんだよ。
なかったことにするのではなく、忘れてしまうのでもない。全部胸に残して、忘れないように焼き付けた上で、前に進みたい。進んでほしい。
今私が言えるのはそれだけだ。
笑えるほど愚かで 泣けるほど愛しい。
私の大好きな自担様。
素直に泣いてあげられないファンでごめんね。
だけど。
もう未来しか見てないんだ。
“今までの小山慶一郎”をしっかり抱えて進むあなたと、ともに歩いて見ていくこれからの景色しか興味がないんだ。
だから。
ありがとうを言うのは、あなたを通してもっともっとたくさんの素敵な景色を見た、もっとずっと先に取っておきます。
おわり。